極限の性質が構成によるのは良くないと思う

圏論においては、帰納極限(等の普遍性を要求するオブジェクト)は存在性が大事なんであって、その性質を見るのに、そのオブジェクトの構成方法が露骨に現れるのは良くないと思うんだ。
そんなことばかり考えていた結果、昨日に続き馬鹿なことを考えたのでメモ。

帰納極限の定義

定義
有向集合とは、次のような小圏Iである。
任意のi,j\in Iに対して

  1. \rm{Hom}_I(i,j)は空であるか、一つの元よりなる。
  2. k\in Iがあって、i\to k,j\to kが存在する。

集合に、反射率と推移律を満す二項関係を入れると、その関係を射として小圏と思えるという話をもとに、有向集合を小圏として定義しなおしてしまったもの。

F:I\to\cal{C}を有向集合Iからの共変関手とする時、F(i\to j):F(i)\to F(j)F^i_jと書く。
i\to j\to kが存在する時、F^i_k=F^j_k\circ F^i_jであることに注意する。

定義
F:I\to\cal{C}を有向集合Iからの共変関手とする。
この時、\cal{C}の対象Xと射の族f^i:F(i)\to Xがあって次を満す時、XF帰納極限という。

  1. (入射の存在)i\to jの時、f^i=f^j\circ F^i_j
  2. (普遍性)射の族g^i:F(i)\to Yi\to jの時g^i=g^j\circ F^i_jを満すならば、g:X\to Yで任意のi\in Iに対してg^i=g\circ f^iとなるものが唯一存在

この時X=\rm{lim\! ind}\quad Fと書く。

思いついた本(当に馬鹿な話)題

帰納極限は色々な圏\cal{C}で存在することが知られていて、得に\bf{S\!et\!s}では存在する。
具体的に構成して存在性を示しても良いけれど、そんなことしなくてもあまり困らないんだぜ、というのが今回のお題。
構成によらず、普遍性だけから以下を示す。

命題
F:I\to\bf{S\!et\!s}を有向集合からの共変関手とし、X=\rm{lim\! ind}\quad Fとしf^i:F(i)\to Xを入射とする。
この時、任意のx\in Xに対しi\in Iがあって、x\in f^i(F(i))とできる

(証明)
任意の写像g,h:X\to Yは、g\circ f^i=h\circ f^i\,(\forall i\in I)を満たすとする。
すると、普遍性からg=hでなければならない。
特に包含写像\iota:\{x\}\to Xについて、g\circ\iota=h\circ\iotaである。
よって、前回の命題より、あるi\in Iがあってx\in f^i(F(i))とできる。
(証明終)

命題
上命題と同じ状況とする。
u,v\in F(i)について、f^i(u)=f^i(v)ならば、i\to jとできるj\in IがあってF^i_j(u)=F^i_j(v)

(証明)
k\in Iに対して、g^k:F(k)\to\{0,1\}を次で定める。
g^k(w)=\begin{cases} 1\quad(\exists m\in I\,:\,F^i_m(u)=F^k_m(w))\\0\quad(\text{otherwise})\end{cases}
k\to lの時、g^k=g^l\circ F^k_lであることは容易に確かめられ、よってg:X\to\{0,1\}が存在し、g^k=g\circ f^kとできる。
すると仮定から
g^i(v)=g\circ f^i(v)=g\circ f^i(u)=g^i(u)=1
なので、g^iの定義より求める結果が従う。
(証明終)

帰納極限は\bf{S\!et\!s}では具体的に構成例があって、そこから上の2つはともに明らかなのだけれど、普遍性だけを用いて言えたら、それはそれで幸せ。
むしろ、具体的な構成にベタに依存する証明って、圏論的ではない気がする。
もっとも、圏論的ということで喜ぶ人ってあんまりいない気もするけど。